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初トラベルボランティア、パリの街を全盲女性を手引きして歩きまわった6日間

滞在したホテルの部屋からの眺め

滞在したホテルの部屋からの眺め


バスの窓から見るパリの街

バスの窓から見るパリの街


エッフェル塔の近くで咲いていた桜

エッフェル塔の近くで咲いていた桜


エッフェル塔

エッフェル塔


時々横断歩道で見かけたが装置。使い方は分からなかった(下部にスイッチがあり、通り名が音声で流れる仕組みらしい)

時々横断歩道で見かけたが装置。使い方は分からなかった(下部にスイッチがあり、通り名が音声で流れる仕組みらしい)


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セーヌ川を眺めながらストリートオルガンの調べを聴く


フランス

会員番号:H1015、埼玉県、ウェブデザイナー、46歳

チャンスは突然巡ってきた
 私にとって初めてのトラベルボランティア経験。そのチャンスは突然巡ってきた。
 依頼人は全盲の30代の女性Bさん。当初は知り合いのKさんと一緒にフランス行きパックツアーに参加する予定だったが都合が悪くなり、代役を探していた。旅の介助人に私が決まってからもトントン拍子ではなく、実はツアー参加者名の変更ができず、結局キャンセルとなった。そこで急遽、個人旅行として仕切り直し、旅のプランが確定した。それが出発の1週間前のことだ。
 出発日は3/26(金)、関西空港から夜遅い便で出発だ。それまでの連絡調整のため、Bさんと私とJTVNの三者は、電話やメールで連絡をとりあった。
 その間、彼女の目が見えないことを私が意識することは一切なかった。
 彼女も私もパリに行くのはこれが初めて。予備知識にとガイドブックを読んでみても字面を追うだけでどうもピンとこない。年度末の仕事の前倒しにも追われ、旅行の綿密な準備もしないまま出発当日を迎えた。行動プランは彼女が練っているはずなので、私はそれが実行できるようにすればよいと考えた。

全盲のBさんに私の肘につかまってもらい、二人で歩き出した
 出発日の3月26日。私は羽田から関空に飛んだ。予約がとれたフライトは午前便。待ち合わせの夜9時までたっぷり時間があった。パリに関する本を読んだり、食事をとって過ごした。ダイソーで100円のデジタル腕時計も買った(現地時間表示用にあると便利。機内使用も問題ない)。夜になり、国際線の受付ロビーで待っていると、白杖をつく女性の姿が見えた。すぐにBさんだとわかった。付き添っているのはKさんだ。私から二人に近づき、挨拶をした。予定通り対面できたことをまず喜び、JTVNにも早速、メールと電話で報告をした。旅行会社から渡された必要書類一式をKさんから受け取った私は、チェックイン手続きを済ませた。ついに二人の旅がスタートした。Bさんに私の肘につかまってもらい、二人で歩き出した。
 見送りのKさんに「行ってきます」と明るく挨拶をして別れた。携帯電話はこれ以降、帰国の日まで使えなくなった。

出国審査では、白杖も検査台に載せ、ボディチェックのゲートは二人同時の通過
 飛行機に乗る前に、手荷物検査を通過するが、彼女の白杖も検査台に載せるので、ボディチェックのゲートは二人同時の通過だった。係官にパスポートを提示する時も二人同時だ。初めて会った者同士なので、話すことはたくさんあった。必要な介助について要望を確認したり、自己紹介をし合って、お互いに打ち解けた。必要な介助は、トイレの説明(鍵のかけかた、ペーパーの位置、水を流す操作法)や、歩くときの配慮(エスカレーターや階段などの簡単な予告、彼女は勘がいいのでそれほど慎重にならなくても付いて来られる人だった)や、見えているものの説明、食事の内容説明など。ところが、うっかりしていたが、もう一つ今回の旅で重要なことがあった。

言葉のサポートも必要だとわかった
 海外に出るということは、何かと英語を使う場面が多々ある。彼女は得意ではないことがわかり、言葉のサポートも必要だとわかった。私はフランス語は出来ないが、英語ならどうにかなるので、それで特に不安に感じることもなかった。
 機内で、私が彼女のためにしたことは、ヘッドフォンで音楽が聴けるようにタッチパネルの操作をしてあげたり、機内食や飲み物のチョイスを英語で乗務員に伝えたり、おしぼりの受け渡し、ブランケットやヘッドフォンの回収時のフォローなどだった。トイレの時は乗務員を呼んで彼女に案内をしてもらった。英語の説明だったので、一応私もそばにいてフォローした。利用したエミレーツ航空は評判どおり機内食が美味しかった。初回の食事の時は、トレイに載った食事内容や配置を一つ一つ説明してあげた。二度目以降はメニューだけを伝えると彼女は理解できた。
 往復ルートは直行便ではなくドバイ空港経由。待ち時間を持て余すことを心配していたが、空港内の設備は立派で、土産物店やショップを見て回っているうちに時間が過ごせだ。水タバコの道具や絵葉書、携帯ストラップ、おもちゃコーナーなど、グッズの説明もそれなりに難しいが、楽しく過ごすことができた。

パリのシャルルドゴール空港に着いたのは、フランス現地時間で午後1時
 日本を出発してから約20時間が経過していた。事前にインターネットで調べたパリの天気は毎日雨。それを覚悟していた私たちは、雨あがりの空港に喜んだ。空港に着いたら、次はホテルへ移動だ。私たちはスーツケースを転がしながら移動を始めた。彼女はもちろん白杖もついている。ホテルへの移動手段はタクシーが一番簡単だけれど、バスや地下鉄でも行きやすいとKさんから聞いていた。私たちは地下鉄に乗ることを決めた。「さて、切符はどこで買うんだろう?」とキョロキョロし、案内センターで聞くと「そこの窓口で買える」と英語で教えてもらえた。券売機もあったが、買い方がわからないので、行列に並んで順番を待ち、パリ市内行きの切符を何とか買った。運賃は一人8.5ユーロ。私は2人分を払った(この先も二人分での支払い時は私が立て替えて、一日単位でまとめて後で彼女に請求した)。
 空港は地下鉄の始発駅。ホテル(Hotel Plaza Opera)は地下鉄7号線のCadet(カデ)駅近く。地下鉄に乗り、停車駅案内図を見ると、7号線への乗り換えは、Kさんから聞いていたGare du Nord(北駅)ではなく、もう一つ先のChatelet-LesHallesだとわかった。そちらの駅で降りると7号線のホームまでは相当距離があった。駅構内をスーツケースを転がしたままひたすら移動した。土曜日の午後だったので人がたくさんいた。動く歩道に何本か乗り、歩き続けると駅名がChateletに変わっていた。階段の上り下りは大変なので、彼女のスーツケースに手を添えて重さを少し軽くしてあげた。地下鉄での移動にしたことを多少後悔したが、今更しょうがない。ともかく次の地下鉄に乗れて、目的のカデ駅に無事到着した。階段を上って地上に出た時は「これで、もう安心!」と思ったのも束の間、次の難問が襲い掛かった。

どの道を曲がればいいのかわからない!
 旅行会社から渡された地図は実に大雑把な地図で、困った私は信号待ちをしている若い女性に英語で尋ねてみた。最初の道がわかったので進むと、次の分かれ道でまた迷った。通行人に再び英語で尋ねてみた。
 「英語はムリムリ」とお手上げポーズをされたり、ホテル名の「Opera」だけを見て劇場のオペラ座への道を教えてくれた人がいた。途中でそれに気づき、引き返し、また道を探すことの繰り返し。近くには来ているので、タクシーを使うまでもないし、流しのタクシーを拾うのも面倒だ。結局30分程歩き続けた末に、ようやくホテルに到着。ついに往路のゴールに着いた。私に引っ張られて歩いた彼女は相当くたびれたはずだったが、実は彼女はランニングの趣味もあり、1キロ5分ペースの走者と聞いていたので、健脚者ペースでいけると私は判断していた。

ホテルに到着し、ホッと一息
 ホテルの部屋は小綺麗で二人ともすぐに気に入った。ツインを強く要望したためか、ダブルベッドの他にエクストラベッドが一つあった。トイレとバスルームの使い方を確認し、ホッと一息。念のため、機内食で開けなかったミネラルウォーターをカバンに入れていたので、それを半分ずつ分け合って飲んだ。

いざ、エッフェル塔へ!
 「雨が降っていない今日のうちにエッフェル塔に行きませんか?」という彼女の提案に私も賛成し、ホテルのフロントでエッフェル塔までの行き方を英語で聞いた。「すぐ近くのバス停から42番のバスに乗れば着く」と言われた通りにバスがやって来た。運賃の払い方はわからなかったが、運転席に”For two.(二人分)”と言って10ユーロ紙幣(私の財布にあった一番低額紙幣)を差し出すと、お釣りが6ユーロ60セント戻ってきた。他の人の乗り方を観察してみると、日本で使うような電子カードを所定の部分にピッとかざして乗車していた。バスの窓から見える街の景色を彼女に説明しながら、やがてエッフェル塔前のバス停に到着した。
 エッフェル塔の下は公園になっていた。その入口に桜の木がありピンク色に花が咲いていた。嬉しくなって、彼女にも指で触れてもらった。記念写真もパチリ。エッフェル塔に上る前に、腹ごしらえをと、近くのCASTLE CAFEに入り、ピザとキッシュをほおばった。エッフェル塔に戻り、エレベーターで展望台に上った。高い場所なので風も強く、肌寒かった。観光名所とあって、世界中からの観光客で賑わっていた。
 日本人もいただろうが、日本語は全く耳に入ってこなかった。エッフェル塔を下りるときにはすっかり夜も遅くなり、さすがにホテルへはタクシーで帰った。その日は早く寝て、翌日に備えた。
 朝になり、窓の外を見ると、夜中の雨も上がり、道が乾きはじめていた。パリでは予報通り、毎日雨が降ったが、降り続く雨ではなかったので、私たちの街歩きには殆ど差し支えなかった。ここからは、パリでの出来事をまとめてみる。

美味しい朝食、フランス語での挨拶
 朝食は毎朝、ホテル地下の小さな食堂で食べた。セルフサービスでメニューは毎日同じ。パン(種類はいろいろ)、チーズ、ゆで卵、ヨーグルト、果物、カフェオレ、ジュースなどだったが、飽きることなく、毎日たっぷりと食べた。食堂で隣り合わせた宿泊客や、給仕のおばさんや、フロントや、外でお店に入った時など、とにかく人に会ったらフランス語での挨拶を心がけた。「ボン・ジュール、マダム(ムッシュゥ)」「メルシー、マダム(ムッシュゥ)」。出会う人はたいてい彼女の白杖に視線がいく。だから尚更、挨拶でコミュニケーションをとりたくなった。

ノートルダム大聖堂のミサ
 パリ到着の翌日は日曜日だったのでノートルダム大聖堂に行った。ホテルは9区に位置するが、この日も次の日も交通機関は使わず、ずっと歩いて行動した。バスや地下鉄に乗るよりも彼女には楽しいからだ。私も歩くのが好きなので苦にならない。大聖堂では、荘厳な内部空間、ステンドグラスから差し込む光に感嘆。入口で寄付金を入れてオリーブの枝を受取り、ミサに参列した。聖歌やオルガンの演奏に聴き入った。その日はセーヌ川周辺を広範囲に散策した。ストリートオルガン奏者が軽快な音楽を演奏していた。パリの街はどこを切り取っても一枚の風景画が完成するような美しさがあった。建物は石造りが多く、装飾に使う色は金色と青銅のような色。フォルムも曲線美が多く、建物の高い位置に商業広告は一切ない。私の言葉の表現力には限界があるので、彼女が手で触れられる場所は教えてあげて、一緒に感動を共有した。おそどさんお勧めのシテ島の公園に行き、売店で買ったパンで、ランチタイムを楽しんだ。それからもたくさん歩き、ホテルに戻ったのは夜の9時半頃だった。

凱旋門のエレベーターに乗る
 次の月曜日は凱旋門へ向かった。コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを歩き、凱旋門に上った。凱旋門では普通に行列に並んでいたが、階段の入口に来たところで、係の女性が彼女の白杖を見て、”There is a lift.(エレベーターがありますよ)”と場所を指で示してくれた。エレベーターが本当にあるのか疑問に感じながら、対角線側の柱の方に行くと、鉄の扉が開いて、係が中へと誘導してくれた。このエレベーターは特別な人のために運転されるのだろう、他には誰も乗らなかった。展示室フロアまで上がり、しばらく展示物を観覧し、ショップで買い物をした。ショップではエッフェル塔、凱旋門、ノートルダム大聖堂の金属製ミニチュア置物があった。彼女はそれを指で触りながら、「今、私たちがいるのはどの辺り?」と聞くので、「この辺」と私が彼女の指をそこに置いた。置物もこういう使い方が出来るので便利だ。
 その夜はオペラ座の当日券があることを期待して、オペラ座に戻る時間を調整しながら行動した。パッサージュ内のオープンカフェで、ワインと食事を楽しみ、オペラ座に向かった。ところが当日券が売切れだとわかり落胆したが、気を取り直してラファイエットデパートでの買い物を楽しむことにした。突然、降り始めた雨を避けるにもちょうど良かった。丸二日間、パリを歩き回った私たちはその夜、ホテルに戻るとバタンキューと寝てしまった。
 そしてパリ滞在の最終日。空港までの送迎車サービスを前夜の内に予約しておいたので、正午の迎えの時間までをホテル周辺を散策して過ごした。肉屋、果物屋、雑貨屋、酒屋、メガネ屋、スーパーマーケットなどのお店を見て回った。こうしてパリの旅が終わった。

パリでは毎日道に迷い続けた
 パリでの行動は決してスムーズなものではなかった。毎日道に迷い続けた。地図は詳細な地図を2度も買いなおしたが、それでも迷った。石畳のでこぼこ道、複雑な交差点、狭い路地、人混みなど、歩きながらも彼女への気配りも欠かせない。見える風景や面白い発見があれば、説明もしてあげたい(ただし説明のつかないものもいっぱい!)。「一体どこを歩いているんだろう」という状態が続くと、目的地にたどり着くだけでも拍手喝采の気分。街角の表示板や、地図と照合しながら、「おー、これがサンジェルマン・デ・プレの教会か!」とか「これがオペラ座なんだ!」とか、発見するたびに小躍りした。これが団体ツアーなら、到着して当たり前なのだから、喜び方も違っただろう。予想外の冒険的な旅になり、疲れた分だけ楽しさもあった。

機内で旅の思い出をICレコーダーに録音
 日本に帰る機内では、彼女のICレコーダーに旅の記録を録音した。パリで行動したルートを私が説明すると、時折彼女も感想を織り交ぜてくれた。二人で旅を振りかえりながら、気持ちは満足感でいっぱいだった。関西空港に到着し、ゲートを出ると、出迎えに来てくれたKさんの笑顔が見えた。無事、彼女を引き渡すことが出来たときに、私の役目が果たせたことに心底ホッとした。

障がいがあることで誰かの手を借りることはあるが、だからこそ新しい繋がりが生まれる
 元々あきらめかけていた旅が、実行できたのは、彼女が積極的に判断し、行動したから。インターネットでJTVNを見つけて相談をもちかけ、ツアーがキャンセルになっても個人旅行に切り替えた。準備期間がない中、無謀な部分もあったかもしれないが、一つのことが上手くいかなくなっても、他の方法を探す彼女の積極性を評価したい。障がいがあることで誰かの手を借りることはあるが、だからこそ新しい繋がりが生まれる。私も彼女のおかげで素敵な旅行が出来た。Bさん、Kさん、JTVN事務局の方、そして私が行くことを良しとしてくれた家族に感謝したい。(了)


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